生きるということ

昨日は疲れ果てて、書きながら寝てしまいました(._.)

なので今日は頑張って書いていこと思いますっ!

 

今日からゴールデンウイーク!

5連休です。しっかりと時間管理をして、

充実した連休にしたいと思います。

日曜日、祝日でも関係なく

お仕事をしてくれている方々、本当感謝です。

 

便利な世の中になって、すごく快適な生活をしているけれど、

その裏には、その便利さや快適さを支えてくれている

たくさんの人がいることを、

決して忘れないようにしていきたいと思います。

また、感染が拡大している中、

毎日毎日緊張と恐怖と隣り合わせで働いてくれている、

医療関係者の方々、本当に頭が上がらないです。

私は病院勤務は性に合わなさ過ぎて、

実習だけでメンタル崩壊したので、

就活の時も一切視野に入れられませんでしたが、

私の友達には病院勤務の子がたくさんいます。

本当に尊敬します。

どうか体調に気を付けて、頑張ってほしいし、

私がもしできることがあれば、少しでも力にないりたいです。

 

 

さて、今日の本題に入ろうと思います。

今日の本題は題名の通り、

「生きるということ」

重いですね笑

 

何で最近は「新社会人になって」というテーマで

書いていたのに、急にこの内容にしたかというと、

昨日、生きる、ということについて考えたからです。

先日、仕事帰りに人身事故がありました。

どういう事故だったのかは全く分かりませんが、

踏切の結構長い区間で閉まっていたし、

電車の再開も1時間半くらいかかっていたようです。

この事故で亡くなった方がいるのかはわかりませんが、

とても悲しい気持ちになりました。

 

世の中はゴールデンウイークだ~と浮かれた気持ちでいるのに、

私は今日の夜ごはん何かな~と呑気に考えていたのに、

その一方で、苦しんで、苦しんで、

耐えられなかった人もいたのだと思うと、

とても自分の世界だけで生きてしまっていたな、と感じます。

(もちろん、自殺なのかはわからないので、

あくまでも私の憶測から来た、勝手な悲しみかもしれません。

どうか、無事でありますように。)

 

私は小さい頃から、結構「生きる意味」に関しては

考えてきた方だと思っています。

他の人がどのくらい考えてきたのかはわかりませんが、

中学生くらいのころ、自分の生きる意味、

存在する価値、この人生を通してやり遂げるべきこと、

をよく考えていました。

でも、自分は何か特別得意なこともなかったし、

とても優しい、とか、リーダーシップがあるとか、

人に誇れるような性質もありませんでした。

だからこそ、何で自分がいる意味があるのか、

もし自分がいなくなっても、社会は普通に回るのではないか、

ということを真剣に考えていたのではないかと思います。

高校生になってからは、日常が忙しくて、

また、友達と過ごす時間もとても楽しくて、

部活や勉強において明確な目標があって、

生きる価値など長いスパンのことは

あまり考えなくなっていた気がします。

というより、多分考える余裕がなかったのかな?

大学生になって、幅広い人と関わるようになり、

また、就活などを通して、自分の将来を考えるようになってから、

改めて、自分の生き方について、生きる意味について、

考えるようようになりました。

 

考えた結果、最終的な答えは、まだ出ていません。

 

生き方は決して一つではないし、

正解はないのだと思います。

当たり前のことですが、

10人いれば、10人それぞれ、生き方は違うし、

それぞれに正解の生き方があると思っています。

でも、自分で0から見つけるのはすごく難しいから、

いろんな人の本を読んだり、

人と話す中で少しずつ見つけていくのだと思います。

例えば憧れる生き方や憧れの人がいるのであれば、

それに従うのもひとつの生き方だし、

何か自分が成し遂げたいテーマや目標があって、

それを成しとげるために、

色んな人の生き方を参考にするのも、

人の生き方だと思います。

つまり、自分の人生において、

正解の生き方は決まっていないから、

自分の行動で正解にしていく、

ということです。

これはよく耳にする言葉ですよね。

自分がどう行動するかで、本当に人生は変わると思うし、

人生を変えられるのは、本質的には自分だけです。

どう行動するか、と考えたときに、

自分のやりたいこととか、

興味があることの方が、

精力的に取り組むことができると思うし、

成長率も大きいと思います。

 

しかし、憧れの人もいないし、

自分の人生のテーマも見つけられない、

それが一番つらいのではないでしょうか。

私はそれに一番悩まされてきました。

また、自分に向き合ってこそ、

その正解に近くなれるのではないかと思っていますが、

忙しさゆえに、自分のことさえしっかり見てあげられずに、

時間がだけ過ぎていく、という人も現代には

とても多いのではないでしょうか。

 

私の好きな「瑠璃色の地球」の歌詞に

「夜明けの来ない夜はないさ」という部分があります。

この部分はとてもすてきだな、と思う一方で、

このフレーズに苦しめられる人もいるのではないかと思いました。

現に悩んでいるときの私がそうでしたので。

夜明けの来ない夜はない、という言葉は、とても心強いけれど、

いつ来るかはわからない、でもいつかは来る、

という印象を受けます。

実際の夜は、時間がたてば必ず明けるし、

時計さえあれば、あと何時間あれば明けるのかもわかります。

しかし、人生における夜は、いつ明けるのでしょうか。

 

その夜明けまで自分は耐えられるのか、という不安に苛まれます。

今自分が何時にいるかによって、これから夜は深まるかもしれない。

 

つらくても、目標や、そばにいてくれる人がいれば、

それが光となって、夜を照らしてくれるかもしれないし、

夜が明けるかもしれない。

 

だから私は、

誰かを照らせるようになりたい。

または、光へと導ける人になりたいと思います。

 

今はまだ、私がどのような形で、それを達成できるかは

わからないけれど、その目標が私にとの一つの光、

生きる意味でもあります。

 

 

私は、今まで本当に恵まれた人生を歩んできました。

周りの人から愛されて、何一つ不自由なく

人生を歩んできました。

でもだからこそ、こんなに恵まれているのに、

生きる意味や自分の存在価値を考えていていいのだろか、

もっと苦しんでいる人や、恵まれていない人もいるのに、

私が悩んでいていいのだろうか、

そう考えていた時期もあります。

 

でも、悩むことはいけないことではなくて、

それだけ真剣に生きている、ということだし、

悩んではいけない、と心に蓋をしても、

いつか限界が来てしまいます。

だから、自分の悩みに正直になって、

しっかりとその悩みに向き合っていく、

それも大切なことなんだ、と今は思っています。

 

そのような暗闇の中から、私を救ってくれた人たちがいたから、

今はその悩んでいた過去さえも、

大切な人生の過程の一つになっていて、

本当に心から感謝しています。

 

だから私が今度は救ってあげたい。

どうしたら救えるのか、今はまだわからないけれど、

まずは、自分の身近な人に対して、

自分のできることを、一つ一つ見つけていきたいと思います。