周囲への期待と自分への期待

今日のお昼、たまたまNHKの番組を見たのですが、

それを見て感じたこと、

自分と照らし合わせて感じたことを

書いていこうと思います。

 

その番組は、このコロナ禍で大学に通うことができず、

自宅で授業を受けた数人の大学生たちが、

今の自分の気持ちを話す、という番組でした。

対面で話しているわけではなく、

それぞれが自分の現状と気持ちを動画に収める、

というスタイルでした。

顔も出していなかったし、声も加工されていて、

大学生の本音を聞けたような気がしました。

 

その中で語られていた内容で、

心に残ったことをいくつか書いていこうと思います。

 

一つ目は、ある女の子で、

「先日、一つ下の学年が高校の卒業式をやった話を聞いて、

私もやりたかった、という気持ちが

再び沸き起こった」という内容でした。

その子は、これまでの色々な背景から、

高校に特に思い入れがあって、

両親にも、大きな節目として卒業した姿を見せたかったし、

いろんな人におめでとうと言ってほしかった、

と言っていました。

そのような気持ちが、一つ下の学年の卒業式の話を聞いて

再び思い出されて、またモヤモヤしてしまっているし、

でも、そうやっていつまでも、

くよくよ考えている自分が嫌だ、

だから色々考えて、今日でこの気持ちに区切りをつける、

と話していました。

 

私はこの子の話を聞いて、

自分にはあまりない感情だなと思いました。

きっと私の卒業式がなくなっていても、

残念な気持ちはあったけれど、

区切りとしてしっかりしたかった、

という気持ちは生まれてこなかったと思います。

なので、両親にそういった姿を見せたい、とか、

自分の中で区切りとして式をしたかった、

と、一つ一つのイベントを大切にできるのは、

とても素晴らしいことだなと思いました。

 

二つ目は、男の子で、

「今までの中で一番クズな一年だった。」

と言っていました。

(これ以下の内容は、正確な記憶ではないので「 」は

外させてもらいます。)

何か成長できたわけでもなく、

思っていた大学生活と違ったし、

将来への希望も持てなくなってしまった。

といったような内容でした。

私がその子の話の中から感じたこととしては、

今または将来に対して期待を抱いて生きることで、

苦しくなることもある、ということです。

 

 

私も大学4年の1年間の計画がすべて崩れ、

友達との思い出作りはほとんどできなかったし、

実習や4年間の集大成である卒論の発表も

オンラインになってしまいました。

それでも私はそこまでダメージを受けなかったし、

オンラインになったからこそ、

体験できたこと、感じられたこと、

気付けたこと、がたくさんあって、

もちろん、心残りがないわけではないけれど、

それなりに現状を受け止めて

生きられていたんだと思います。

 

しかし、今日の番組を見て、

私は環境に適応していたのではなくて、

元々期待をしていなかったから、

どんなに状況が変わっても飲み込めたのではないか、

と感じました。

 

期待をすればする程、それが実現しなかったとき、

ダメージは大きくなります。

逆に期待していなかったけど、

いいことが起こったとき、

とてもうれしく思います。

これを知らず知らずのうちに学んで、

「期待しない」思考を身に着けていたのではないかと思いました。

昔、私は人に優しくできる人になりたい、と思い、

その時に「本当に優しい人は、相手に期待をしない人だ」

という言葉を知って、それに納得して、

それから周囲に過度の期待をしないように意識はしてきました。

でも、それが人に対してだけでなく、

自分にも、環境にも期待しないことにも

つながってしまっていたのだと思います。

 

もちろん、相手に期待しないことで、

優しくなれたと思うし、

自分の気持ちも穏やかになりました。

でも、無意識で、自分自身にも

期待をしなくなってしまっていたことは

反省すべき点だと思います。

自分の行動は自分で変えられるし、

自分の将来も自分で変えられる。

自分のコントロール下で何とかなるものには

たくさん期待をして高みを目指し、

自分の力ではどうしようもないことは、

割り切ってポジティブに考える、

この思考を今後徹底していきたいと思います。