ハッピーポジティブ人間らしい

今日私のポジティブ論がまた一歩、前に進んだ。

元々、ポジティブだと言われることは多かった。

でも、自分では、そんなに???というのが、
正直な感想だった。

 

しかし、今日会社で、上司との面談があり、

自分の思考回路が想像以上に

ポジティブであることが分かった。

まあ、正確に言うと、自然とポジティブに

変換できる能力が高くなっていた、

という感じ。

 

前の日記にも書いたように、

私は、元々、かなりのネガティブだった。

でも、ネガティブに疲れすぎて、

ポジティブに考えるようになった。

始めは、無理矢理自分に言い聞かせている感じだったし、

今も、かなり無理矢理にポジティブ変換することもあるが、

前に比べて、自然に、負荷なく

変換できるようになったと思う。

 

そして、今日の面談。

内容としては、

先輩からの当たり強くない?大丈夫?

という感じで、心配された。

というのも、歴が長い先輩と、

歳は上だけど、歴は同じくらいの方がいて、

その、同じくらいの歴の方が、上司に、

「若干あたりが強いことがある」というように

相談してくれていたのが、きっかけだった。

まず、そうやって、私のことを見てくれて、

私のために、相談してくれることに感謝!

しかし、私は当たりが強い、と感じたことはあまりなかった。

まあ、ゼロだった、と言えば嘘になるけれど、

多少あたりが強かったり、語感が強くても、

「まあ、今バタバタしてるしな」

「何かプライベートでうまくいかなかったのかな」

くらいにしか思っていなかった。

 

でも、周りから見たら、

わざわざ相談するくらいのレベル感だったらしい、

ということを知った私は、びっくりしたと共に、

自分のポジティブ変換能力が上がっていたことに、

嬉しくなった。

もちろん、その方が、とても優しくて、

気を遣える方だってこともあるけれど。

 

もはや、「打たれ強い」を超えた、

「打たれたことに気づかない」なのでは、と思った。

 

自分自身のこの思考を、

周りの人に強要するつもりはないけれど、

この特技を生かして、何か仕事ができたらいいな、

と思っている。

 

また、自分はこうやってポジティブに変換できるから、

と言って、他の人が同じようにできるわけではない。

だから、きちんと、他の人のポジティブレベルを把握して、

その人の立場に立って考える能力をきちんと磨いていきたい。

食に対する執着

私自身の嫌いな部分も、

この世間の色んな問題の多くも、

人間の、何かに対する執着が

原因になっているのではないでしょうか。

 

例えば、お金に対する執着。

世の中、お金に対する執着で、

たくさんのことが動いているのではないでしょうか。

もちろん、お金に対して、興味があること、

お金を増やそうとする行為自体は悪いことではないと思います。

生きていくうえで、お金は必要です。

お金を稼いでいる人は単純にすごいと思うし、

しっかりお金の管理をできる人も素晴らしいと思います。

 

しかし、そのお金に対する感情が強すぎることで、

詐欺や横領、脱税、などなど・・・

たくさんの問題が起こっていると思います。

 

また、愛に対する執着によって、

束縛や嫉妬、恋愛関係のもつれが

生まれてくるのではないでしょうか。

 

※あくまでもここは私の予測。

 

そしてここからは私に関する話です。

 

この世の中には、様々な執着があると思いますが、

私自身は、「食」に対する執着が強いです。

食以外に対する執着は、わりと捨てられている方だと思いますが、

逆に食に対する執着が本当に強いです。

一日中食べることを考えているし、

職業の影響もあって、

私の頭の中の9割以上が

食で占められているのではないかと思います。

具体的には、食べ物を捨てることに対して、

とても大きな抵抗があり、残すのがもったいない、

とついつい食べ過ぎてしまいます。

また、今は規則的な生活をしているので、

あまりないですが、

不規則な生活をしているときは、

どのタイミングで食事をとるか、

どこのお店でどのくらいの食事をとるか、

ということばかり考えてしまっていました。

 

私の場合、家族や誰か周りに人がいるときは、

その人がストッパーになるのですが、

一人でいると、そのストッパーが外れてしまいます。

家に誰もいなくなった瞬間、

お腹がすいているわけでもないのに、

食べなくてはいけない衝動に駆られて

食べ物を漁って食べたり、

友達とごはんに行った帰りなのにコンビニの寄って、

お菓子を買って食べながら帰ったり。

 

もちろん、ただ胃のキャパシティーが大きくて、

たくさん食べる、というだけならいいのですが、

私の場合、そうではないのです。

それを食べているときは心が満たされているわけではなく、

逆に罪悪感や、これを誰かに知られたら、

という気持ちの方が大きいのです。

でも、なんとなく、食べなくてはいけないような気がして、

ついつい食べてしまいます。

「一人になれるタイミングがあったら食べなくてはいけない」

というイメージですかね。。。

 

また、なぜか、その「食べた」という事実を隠そうとしてしまいます。

そうやって、食に強く執着している自分が嫌です。

でも、食べること自体は大好きで、

私の人生のうち、大切なことだし、完全に手放す、

ということは不可能だと思います。

でも、こんなにも食に執着している自分も嫌いだし、

これがエスカレートしたり、

何かのはずみに、大きな問題になりかねない気がしています。

 

なので、明日から、この側面から

自分を分析したり、執着に関して、学んでいこうと思います。

住みたい場所

今週のお題「住みたい場所」

 

私の住みたい場所は、

だいぶざっくりしていますが、

「田舎」です。

2歳から東京に住んでいて、

超都心というわけではないですが、

日常に何の不便もなく、過ごせる場所で

約20年間暮らしてきました。

 

祖父母の家は田舎にあり、

自然豊かな場所にあります。

夏休みしか行くことはできないですが、

私にとって、そこが憧れの生活の地です。

 

私は、中学生くらいから、

田舎暮らしにあこがれていて、

高校生くらいから、

自給自足の生活を夢見てきました。

 

なぜそのような生活に憧れているのか、

明確な理由は自分でもわからないのですが、

おそらく、自分の食べるものが、

どのように作られるのか知りたい、ということと、

便利さを求めすぎることへの違和感が

あるのだと思います。

 

将来の夢は?と聞かれたら、

「自給自足」と答えてきたし、

最近youtueなどで、田舎ぐらしの動画を見ては、

自然に囲まれた生活に思いをはせています。

 

とはいえ、都会に染まり切って20年生きてきたわけだし、

今の職場でやりたいこともあるので、

まずはこの地でできるプチ農業をして、

知識を蓄えていきたいとおもいます。

 

というわけで、私の住みたい場所は田舎!

とても薄い内容になってしまいましたが、

ちょうど、田舎暮らしがしたい、

という記事を書こうと思っているところで、

このお題がちょうど出ていたので、

衝動的に書いてしまいました。

 

少しずつアクションを起こして、

自分の憧れの生活を手に入れるぞ!!

正しく生きる

自分は何を求めて生きてきたのか?

「正しく生きたい」

ということでした。

正しく生きたいと思っていたからと言って、

決してできた人間ではないので、

自分の欲や見栄に負けて、

正しく生きられないこともありました。

でも、だからこそ、人一倍、

「正しく生きたい」

と思ってきたのかもしれません。

 

大人になるにつれ、

正解は一つではないこと、

ある側面からみたら正しいことも、

他から見たら悪である可能性があることも、

色々なことを知って、

はじめは抵抗していても、

どうしようもできないことに絶望して、

容認してきました。

その生き方が一番楽だと思っていたけれど、

確かに日々の生活はそれが楽だけど、

自分の気持ちに嘘をつきすぎると、

根本的に苦しくなってくるんだなと思いました。

 

正しく生きるとは、

自分にとって正解の道を選ぶことなのか、

多数派にとっての正解を選んで適応していくことなのか、

世の中の常識が必ずしも正解とは限らない。

今の正解が、将来正解だったといえるかわからない。

本当の正解は神様のみぞ知るのでしょうか。

 

正しく生きたい、でも

正しく生きる方法がわからない。

だから、自分が今、最善だと思う方法で生きていきたいと思います。

もしかしたら、自分が正解だと思って進んでいた道が、

間違っていることもあるかもしれない。

その時は、間違っていることを素直に認めて、

新しい方向に進んでいきたいです。

 

常に自分の思考があっているか、

独りよがりになっていないか、

いつも他視点をもっておくことを

意識していきたいと思います。

そして、周りにとってもいいことで、

自分のことも傷つけない生き方を、

見つけられたらいいな。

一か月ぶり!

約一か月更新していませんでした。

この一か月は、環境にも慣れてきて、

新しく始めたいことも見つかって、

目標も見えてきて、

精神的に安定して過ごせと思います。

 

やっぱり、環境に慣れ、

周りと安定したコミュニケーションを取れることって

すごく大切なことだなと思いました。

そして、改めて、自分が恵まれた環境にいることを

実感できた一か月だったと思います。

この環境にしっかりと感謝していきたいです。

しかし、たくさんの課題や、解決するべきことはたくさんあると感じているので、

いつもお世話になっているから、

解決するべきことを指摘しない、

というわけのわからない遠慮はせず、

この職場をよりよいものにするために、

意見するべきところはしっかりとしていきたいと思います。

 

最近、自分が昔考えていたことや、

感じていたことを振り返ってみる機会がありました。

文に残している部分もあったのですが、

残していない部分もたくさんあるので、

現在の私のフィルターがたくさんかかっていますが、

ここにまとめておきます。

 

中学生くらいの頃に考えていたことは、

世界の人類がみんな幸せになることはできないのか、

ということです。

私がしっかりと将来の夢を考え始めたのは、

これがきっかけのような気がします。

 

テレビや新聞で、成果の貧困問題について目にするたびに、

私はこんなに不自由なく生活している一方で、

明日の衣食住も、身の安全も保障されていないなかで

生きている人がたくさんいることに、

申し訳ないといか、どうにかしなくてはいけないというか、

なんとも言えない気持ちになっていました。

でも中学生だった私には、どうすればいいかわからなかったし、

何かアクションを起こす行動力もありませんでした。

そして、何よりも、今の自分の幸せな生活を犠牲にしてまで

救いたい、という気持ちになれなかったのです。

その時、自分の器の小ささというか、

自分の余裕の無さ、自己犠牲の精神の無さに気づき、

自分はあくまでも、自分が最優先で、

薄情なやつなんだ、と悲しくなった記憶があります。

 

でも、世界でそのように苦しんでいる人がいるけれど、

それに対して、最優先にお金や物資の支援をしない

大人たちに嫌悪感を抱いた記憶もあります。

大人になって、色々なことを知ってからは、

発展途上国の支援ばかりできない事情も

分かるようになりましたが。

でもそれは本当に私が成長して「理解」したのか、

私が成長する過程で、限界を知って、

「妥協」をしたり、「目を背けた」のか、

どちらかはまだわかりません。

でも、中学生の時に感じたこの気持ちは

忘れないようにしておきたいと思います。

 

そして、そんな気持ちを持った私は、

自分には政治家にはなれないから、

私はお金持ちになって、

募金をすればいいのではないか、

と考えたのです。

一体いくら稼いだら、国ごと救えるのか、

全く予想さえできない中学生だからこそ

できた発想だったと思います。

 

女性の賃金が、男性に比べて低いことを知った

中学生の私は、お金を稼ぐためには、

資格を取るなど、何か目に見える武器が必要であると

考えて、国家資格でもあり、自分の興味のある

今の分野に進むことにしました。

まあ結果、蓋を開けてみると、特別給料がいいわけではないし、

将来的にもあまり昇給する仕事ではなかったです(笑)

 

というような経緯で、私は今この分野を目指すようになり、

結果この道に進むようになったのでした。

 

そして、高校生の間は、

こうやって決まった自分の進路を疑うことなく、

3年間勉強、部活、高校生活を楽しみました。

 

大学は無事、希望通りの学科に進むことができました。

しかし、大学生になって、思ったよりも、

自分の仕事では、救える人は少ないのではないか、

と感じるようになりました。

もちろん、必要な仕事だし、

その仕事がなくなってしまうことは問題なのですが、

そのままのレールに乗っていては、

この世界を変えることはできないのではないか、

という、焦燥感にかられました。

そこで、あえて、違う分野の仕事をしてみたりもしました。

でも、その仕事をしているうちに、

その環境に染まってしまって、

自分が本当にやりたいことを見失ってしまっていました。

就職活動を通して、本当に自分がやりたいことは、

これではない、ということに気づくことができて、

ある程度の方向修正はでき、

今の仕事に就くことができたのです。

よかった。

 

でも、この仕事が、自分がやりたかったことと、

方向性はあっているけれど、

このまま何も考えずに、環境に身を任せて仕事をしていては、

何も変えられない、ということには気づいてしまいました。

今の職場の中でアクションを起こしていくか、

ここで経験を積んで、外の世界に出るかはまだわかりませんが、

きちんと温かい環境に身を委ねっぱなしではなく、

将来を見据えて、準備をしていきたいです。

 

そして、中学生の頃、世界の貧困問題のような、

ニュースや教科書で大きく取り上げられていることしか

知らなかったけど、

高校生、大学生の間に、日本の国内にも、

たくさん救うべき人がいて、

金銭的に問題を抱えている人もいれば、

精神的に課題を抱えている人もいることを知りました。

精神病のように、病名がついている人もいれば、

日常の中で、たくさんのストレスがあることも、

自分の生活を通しても知りました。

世界で苦しんでいる人を救いたい、

という気持ち消えたわけではないけれど、

それと同時に、日本国内の人も救いたい、

と思ったし、

誰かを日常的に救える人になりたい、

とも思いました。

 

誰もが毎日、毎時間100%ハッピーに生きることは

難しいかもしれないけれど、

せめて、その日のうちに、その日の嫌なことを清算できるような、

嫌なことが少しあったとしても、

人生や、生きること自体には絶望せずに生きられるような、

わずかでもいいから、希望の光や、

楽しいことを想像しながら眠りにつけるような、

世界を、世の中をつくることに関わりたいなと思っています。

それが、どういう形で、私に実現できるかは、

全然想像ができないけれど、

この気持ちを忘れないように、

絶対に実現できる、と信じ続けられるように、

ここに記しておきます。

 

私も含め、一人でも多くの人が、

少しでも多くの幸せを感じて、

少しでも多くの希望をもって生きられる

世の中が実現できますように。

今日の反省

今日の反省

 

先日、積極的に動くことを目標にする、

とこの日記に書きましたが、

今日はそれを自分の中で履き違えてしまい、

失敗したことを、反省の意を込めて、

ここに記録しておこうと思います。

 

今日は、積極的に動くぞ、ということを意識しすぎて、

「できます!」と言ったものの、

時間内に終わらせることができなかったことが

反省点です。

表面だけで積極性をアピールすることは

いくらでもできるけれど、

結果的に仕事ができなければ意味がないし、

結局周りにも迷惑をかけてしまうことになるので、

やります!と主張するだけでなく、

自分の能力をしっかりと見極めて、

できない可能性もしっかり視野に入れて

受け答えしていくことを肝に銘じます。

また社会人として一歩前進できたのでは

ないでしょうか。

これを実践できないと意味がないですが。

 

突然ですが、最近の悩みは、

しょっぱいものを食べると、

舌がピリピリすることです。

昔から薄味の方が好きではありましたが、

最近それがエスカレートしているのか、

しょっぱいものがだんだん

食べられなくなってきてしまっています。

原因は何かわからないし、

偏食ってわけでもないのですが…

まあ様子見しましょう。

 

今日は仕事から帰って来てから、

お風呂の前にアイスを食べました!

やっぱり働いた後のアイスっておいしいですね!

サラリーマンが仕事の後のビールがうまい!

とかよく言っているイメージですが、

そういう感じなのでしょうか。

こんな小さなことで、社会人の仲間入りをした

気分を味わうことができました。

 

短いですが今日はここらで終わりにしましょう。

周囲への期待と自分への期待

今日のお昼、たまたまNHKの番組を見たのですが、

それを見て感じたこと、

自分と照らし合わせて感じたことを

書いていこうと思います。

 

その番組は、このコロナ禍で大学に通うことができず、

自宅で授業を受けた数人の大学生たちが、

今の自分の気持ちを話す、という番組でした。

対面で話しているわけではなく、

それぞれが自分の現状と気持ちを動画に収める、

というスタイルでした。

顔も出していなかったし、声も加工されていて、

大学生の本音を聞けたような気がしました。

 

その中で語られていた内容で、

心に残ったことをいくつか書いていこうと思います。

 

一つ目は、ある女の子で、

「先日、一つ下の学年が高校の卒業式をやった話を聞いて、

私もやりたかった、という気持ちが

再び沸き起こった」という内容でした。

その子は、これまでの色々な背景から、

高校に特に思い入れがあって、

両親にも、大きな節目として卒業した姿を見せたかったし、

いろんな人におめでとうと言ってほしかった、

と言っていました。

そのような気持ちが、一つ下の学年の卒業式の話を聞いて

再び思い出されて、またモヤモヤしてしまっているし、

でも、そうやっていつまでも、

くよくよ考えている自分が嫌だ、

だから色々考えて、今日でこの気持ちに区切りをつける、

と話していました。

 

私はこの子の話を聞いて、

自分にはあまりない感情だなと思いました。

きっと私の卒業式がなくなっていても、

残念な気持ちはあったけれど、

区切りとしてしっかりしたかった、

という気持ちは生まれてこなかったと思います。

なので、両親にそういった姿を見せたい、とか、

自分の中で区切りとして式をしたかった、

と、一つ一つのイベントを大切にできるのは、

とても素晴らしいことだなと思いました。

 

二つ目は、男の子で、

「今までの中で一番クズな一年だった。」

と言っていました。

(これ以下の内容は、正確な記憶ではないので「 」は

外させてもらいます。)

何か成長できたわけでもなく、

思っていた大学生活と違ったし、

将来への希望も持てなくなってしまった。

といったような内容でした。

私がその子の話の中から感じたこととしては、

今または将来に対して期待を抱いて生きることで、

苦しくなることもある、ということです。

 

 

私も大学4年の1年間の計画がすべて崩れ、

友達との思い出作りはほとんどできなかったし、

実習や4年間の集大成である卒論の発表も

オンラインになってしまいました。

それでも私はそこまでダメージを受けなかったし、

オンラインになったからこそ、

体験できたこと、感じられたこと、

気付けたこと、がたくさんあって、

もちろん、心残りがないわけではないけれど、

それなりに現状を受け止めて

生きられていたんだと思います。

 

しかし、今日の番組を見て、

私は環境に適応していたのではなくて、

元々期待をしていなかったから、

どんなに状況が変わっても飲み込めたのではないか、

と感じました。

 

期待をすればする程、それが実現しなかったとき、

ダメージは大きくなります。

逆に期待していなかったけど、

いいことが起こったとき、

とてもうれしく思います。

これを知らず知らずのうちに学んで、

「期待しない」思考を身に着けていたのではないかと思いました。

昔、私は人に優しくできる人になりたい、と思い、

その時に「本当に優しい人は、相手に期待をしない人だ」

という言葉を知って、それに納得して、

それから周囲に過度の期待をしないように意識はしてきました。

でも、それが人に対してだけでなく、

自分にも、環境にも期待しないことにも

つながってしまっていたのだと思います。

 

もちろん、相手に期待しないことで、

優しくなれたと思うし、

自分の気持ちも穏やかになりました。

でも、無意識で、自分自身にも

期待をしなくなってしまっていたことは

反省すべき点だと思います。

自分の行動は自分で変えられるし、

自分の将来も自分で変えられる。

自分のコントロール下で何とかなるものには

たくさん期待をして高みを目指し、

自分の力ではどうしようもないことは、

割り切ってポジティブに考える、

この思考を今後徹底していきたいと思います。