自分に不満があったのに気づかないうちに人のせいにしていた

気の向いた時だけに描いていたこちらの日記ブログ

久しぶりに書く気分になったので

最近思ったこと感じたことをまとめようと思います。

 

ブログを書き始めてたころと同じ職場に勤め続け、

三年目に突入しました!

この二年、本当に色んな人がいることを実感する日々でした。

現在私は転職に向けて動いていて、

今年度中には転職する予定です。

 

もともと今の仕事は3年働いたら転職する気持ちでいました。

新卒なくせして入職のタイミングから転職を

見据えていたなんて生意気ですかね笑

 

おかげさまで仕事には慣れ、

自らいろんな提案をできるようになりました。

その中でなかなか先輩と合わない部分が出てきて、

自分自身そこに神経を使わなくてはいけない期間が長かったです。

それもあって転職を決意したのですが、

再度転職をするにあたってしっかりと現状の自分を分析したり、

自分の感情を整理する中で気づいたことがあります。

それは、

「周囲の人に不満がある時、根本的には自分に不満があった」

ということです。

 

私自身転職理由の一つに先輩との仕事観が合わない

という点がありました。

私は

いろんな新しいことにどんどんチャレンジして、

よりよい方法を見つけていきたい

というタイプです。

一方先輩は

毎日の仕事をちゃんとこなせばOK!

安心安全が第一

というタイプです。

どちらが良いとか優れているとかではなく、

単純にこの2タイプで働くとお互いつかれますよね笑

これを転職の一つの理由にしていました。

もちろん、職場自体が保守が大事な仕事が多いので、

もっと新しいことにチャレンジする風土の会社に転職したい、

というのは正当な理由でいいと思っています。

しかし、私の気持ちをしっかりと振り返ってみてみると、

先輩と仕事観が合わないことを盾に、

自分のできないところ、未熟なところから

目を背けてしまっていたなと感じました。

 

私はやりたいことがあるのに、

先輩が保守的だからできない。

→これは事実でもありますが、

自分の提案力、企画実践力が足りないが故に、

先輩にアピールすることもできなかったし、

自分だけで進めるということもできていませんでした。

なのに結果的に周りの人のせいにしてしまっていたのです。

 

これを通して、

周りの人に不満があるときは、自分自身にも不満があるんだな

ということを学びました。

本当は先輩に不満があるのではなく、

自分が先輩が納得できるような提案さえもできないことが

悔しかったのです。

危うくそれに気づかないまま、

転職をして同じことを繰り返すところでした。

 

中長期キャリアなど他の理由もあるので、

転職をする意向は変わりませんが、

しっかりと自分のできていないところに向き合い、

転職までに改善していきたいです。

約一年働いて見つけたこと①

だいぶ長らくサボっていました。

その間にもぽつぽつと私の拙い日記を

読んでくださった方がいました。

ありがとうございます。

 

今日から、私が約一年働いてみて見つけたことを

書いていこうと思います。

今までアルバイトはしていましたが、

実際に社会人になって、正社員として働いてみて、

内面的に気づいたことと、

周囲や社会に対して気づいたこと、感じたことがあるので、

順次書き連ねていきます。

 

気付いたことを書いていこうとか言いつつ、

初回である今回はまず、感想にしようと思います。

 

一年目、社会人として働いて、本当に色んな事がありました。

波乱万丈というほどではないと思うのですが、

自分が気づけていなかった自分の性質や、

自分が気づぬうちにできていたこと、

また、改善すべきなのに気づけていなかったこと

がたくさんありました。

 

一番は、割と自分が真面目でまともである

ということです。笑

 

両親や友達に話したら、

一年目の感想がそれかい!

と突っ込まれてしまいそうですが、

率直に自分の感想をまとめると、これしか出てきません。

 

正直、私は社会人として働くことが不安でした。

人間関係の構築は得意な方だとは思うし、

本当にやばい人がいる職場でなければ、

上手くやっていける、という謎の自身はありました。

 

しかし、なんせ早起きが苦手なことと、

毎日同じ時間に出て、1日8時間も拘束されて働く、

そしてその環境から安易には逃げられない、

という状況に耐えられる気が全くしていなかったのです。

 

学生時代も何とか遅刻すれすれに滑り込み、

友達や周囲に頼りまくって、

迷惑をたくさんかけて生きてきた私が、

誰かのために、自分の自由を犠牲にできるのだろうか。

 

大学では合格ギリギリレベルまで肩の力を抜き、

アルバイトやインターンなどいくつかの逃げ道を作って、

それで心の平安を保っていた私が、

一つの職場のために、一生懸命働けるだろうか。

 

スキルや人間関係の問題以前に、

自分が人間として根本的な欠陥がありすぎて、

社会という制度にきちんと順応できるのか、

本当に心配だったのです。

 

しかし、実際に働きはじめてみると、

案外、毎日真面目に働けている自分がいることに驚きました。

毎日遅刻せずに行って、

手が空いているときには、他の人を手伝って、

周囲に気を配りながら仕事を回して。

 

自分は案外、社会に順応できたこと、

社会の一員として働けている、という事実が嬉しかったです。

 

もちろん、これは私の能力だけではなく、

職場環境に恵まれていたこと、

相談に乗ってくれる先輩がいてくれたことが大きいです。

ありがとうございます。

 

社会人2年目は、社会の一員として働けるぞ、

という自信を持ち、視野を広げて、

私らしく、私にしかできない仕事、働き方をしていきたいと思います。

 

かなり表面的な感想を書き連ねただけになってしまいましたが、

少しずつ私の仕事観や1年で得た新たな意見を

残していきたいと思います。

人と話す楽しさ

私は、社会人になる前は、

人と話す機会の多いアルバイトばかりをしていました。

一方、今は、基本的に黙って作業をすることの多い仕事です。

 

今の仕事も、人と話す機会はあるし、

一緒に働いている人と話すことはあります。

そして、周りに人が優しいので、

働いている環境に、不満を抱いたことはないし、

コミュニケーションが不足していると

感じたこともありませんでした。

 

しかし、先日久しぶりに、

学生時代のバイト先に少しだけ顔を出す機会がありました。

そこは私が過去にしているバイトの中でも、

特にコミュニケーションを必要としているバイトでした。

滞在した時間は本当に一瞬でしたが、

「私は人と話すことが好きなんだ」

と初めて認識しました。

 

中学生のころまでは、人前で話すことも苦手で、

人と関わることはあまり好きではありませんでした。

でも、そんな自分を変えたくて、

高校生で積極的に人と関わるようになりました。

幸い、周りの環境も良く、

人並みにはコミュニケーションを取れるようになりました。

しかし、コミュニケーションを取ることが、

とても得意か、と言ったらそうではなくて、

言葉に詰まってしまったり、

言いたいことがうまく伝えられないことも

たくさんあります。

なので、自分自身、コミュニケーションは下手ではないけれど、

そんなに好きなわけでもない、と認識していました。

現に、自分一人で過ごす時間も苦ではないので。

 

しかし、この前の機会を通して、

自分が人と話すことが好きであることを認識できたと同時に、

自分が今の職場に、潜在的に求めていることは、

もっとコミュニケーションを取ること、であると感じました。

確かに優しいし、質問したら答えてくれます。

でも、雑談とか、仕事について深い話とかをする機会は

なかなかありません。

 

また、人前で発表する機会も少ないのです。

私が今の職場に不満もストレスもないけれど、

どこか満足感が得られない理由がわかった気がしました。

 

だからと言って、「話す機会が少ない」と文句を言ったり、

「私にはこの職場は向いていない」と言うつもりは全くありません。

もうきちんとした大人なので、自分の機嫌は自分で取る。

自分にとって不足してることがあるのであれば、

自分で環境を作り出す。

 

自分から積極的に話かけたり、

発表する機会を掴んだりしていきたいと思います。

 

過去に執着しすぎることはよくないですが、

過去を振り返ることで、その時はわからなかったことが、

今だからこそわかったりするので、

定期的に、いい思い出も、嫌な思い出も、

振り返っていけたらいいなと思いました。

オリンピック

少し時間が経ってしまいましたが、

オリンピック、特に閉会式を通して感じたことを

ここに書き留めておこうと思います。

 

まずは、今回のオリンピックが、

たくさんのトラブルや問題はあったかもしれないけれど、

大きな事故や怪我無く終われてよかったです。

 

今まで、オリンピックをこんなにたくさん見たことはなかったし、

自粛していたからこそ、逆にオリンピックを楽しめたな、と思います。

 

オリンピックを通して、

やっぱり何かに全力で取り組む姿と、

たくさんの人が関わって一つのことを作り上げることの

すばらしさ、美しさを感じました。

 

また、一生懸命練習に励み、挑んだ大きな舞台で、

結果を残せた人がたくさんいる一方、

思うような結果を残せなかった人もいます。

 

でも、お互いがお互いを称えあって、

次の目標に向かって前を向いていて、

本当に素敵だなと思いました。

一生懸命頑張っているからこそ、

相手の努力を認められるのだと感じました。

自分は頑張ったという自信があるからこそ

できることなのではないでしょうか。

必要なのは、結果がどうだったか、だけではなく、

その過程に、自分の努力にどれだけ自信を持てるか、

も重要なのだと感じました。

 

そして、人の悪いところとか、できないこと、

マイナス面ばかりに目を向けるのではなく、

お互いのいいところに目を向けて、

称えあい、尊敬しあって生きていける社会になってほしいなと思いました。

 

そのためには、やはり、自分の努力に自信を持てるか、

これが大事なことの一つになってくると思います。

オリンピック選手のように、他の人の成果に対して、

妬んだりすることなく、

お互いが称えあえるようにするには、

まずは自分が最大限の努力をすること、

これが第一歩になるんだと感じました。

 

 

また、オリンピックを通して、もう一つ感じたこととしては、

前述のとおり、たくさんの人が一丸となって、

一つのことを作り上げることの美しさです。

 

私は高校生の頃、文化祭が大好きでした。

クラスみんなで協力して、

様々にやってくる困難に立ち向かい、

最善の結果を出せるように取り組んでいく、

それが本当に本当に楽しかったのです。

勉強や部活との両立をしながらなので、

決して楽ではなかったし、

本当に忙しかったけれど、

それでもやっぱり、今でも色あせることのない最高の思い出です。

また、文化祭は、それぞれの特技や持ち味を生かして、

みんないろんな仕事をしながらも、

一つの目標に向かっていく感じ、

これもまた好きでした。

 

話が分散して、よくわからなくなってきましたが、

何が言いたいかというと、

オリンピックやって、よかったな、ということです。

 

もちろん、様々な問題があったし、

感染症流行の中やるのが正解だったかは分かりません。

 

でも、たくさんの困難を乗り越えて開催されたオリンピックは、

たくさんの人に感動を与えてくれたのではないでしょうか。

 

次のオリンピックは、きちんと例年通り、

平和に、穏やかに開催されることを心から願います。

終戦記念日

今日は終戦記念日でした。

 

8月15日、私たちが絶対に忘れてはならない日の一つです。

私にとって、戦争はやはりまだどこか遠い存在である、

というのが、率直な今の意見です。

平和な現代の日本に生まれ、両親も戦争を経験していません。

祖父母は戦争を幼いころに経験していますが、

遠くに住んでいることもあり、

なかなかそういう話をする機会を

今まで作ることはできてきませんでした。

 

終戦記念日は毎年覚えてはいるものの、

特に何かアクションを起こしたことはなく、

テレビで流れてくるドキュメンタリーを少し見て、

「戦争はよくない」という

ありきたりな感想を口にするだけでした。

 

今年は、「終戦記念日」に向けて、

自分の考えをまとめる機会を作ったり、

YouTubeで戦争体験記を見てみました。

やれたこととしては、本当に微々たることだったし、

まだまだ知らないこと、

理解できていないことだらけではあると思います。

しかし、私なりに、終戦記念日を意識して、

戦争について、平和について考える中で、

自分の意識や、感情の変化がありました。

 

戦争は

どこか遠いところで行われているもの、

遠い昔に行われていたもの、

自分には縁のないもの、

ではありません。

 

今も私たちの生きる地球上で、

日本では100年もたたない最近に、

私の今いるここでも行われていたのです。

 

きっと、思っているよりも、戦争というのは

身近で、また、私の身にも起こりうる。

今現在起こってしまっている戦争に対して、

どういったことができるのか。

今後戦争が起こらないように、自分にできることは何か、

考え続け、行動しなくてはいけない。

また、今進行している歴史が間違っていないか、

世の中で正しいとされていることが

これが本当に正しいか、歪んでいないか。

決して同じ過ちを犯さないように、

先祖の方々の犠牲を無駄にしないように。

今私ができることは小さいかもしれないけれど、

きちんと目を向け続けることを忘れずにいたい。

 

これからも「戦後〇年」がこれからも永遠に増え続けますように。

ハッピーポジティブ人間らしい

今日私のポジティブ論がまた一歩、前に進んだ。

元々、ポジティブだと言われることは多かった。

でも、自分では、そんなに???というのが、
正直な感想だった。

 

しかし、今日会社で、上司との面談があり、

自分の思考回路が想像以上に

ポジティブであることが分かった。

まあ、正確に言うと、自然とポジティブに

変換できる能力が高くなっていた、

という感じ。

 

前の日記にも書いたように、

私は、元々、かなりのネガティブだった。

でも、ネガティブに疲れすぎて、

ポジティブに考えるようになった。

始めは、無理矢理自分に言い聞かせている感じだったし、

今も、かなり無理矢理にポジティブ変換することもあるが、

前に比べて、自然に、負荷なく

変換できるようになったと思う。

 

そして、今日の面談。

内容としては、

先輩からの当たり強くない?大丈夫?

という感じで、心配された。

というのも、歴が長い先輩と、

歳は上だけど、歴は同じくらいの方がいて、

その、同じくらいの歴の方が、上司に、

「若干あたりが強いことがある」というように

相談してくれていたのが、きっかけだった。

まず、そうやって、私のことを見てくれて、

私のために、相談してくれることに感謝!

しかし、私は当たりが強い、と感じたことはあまりなかった。

まあ、ゼロだった、と言えば嘘になるけれど、

多少あたりが強かったり、語感が強くても、

「まあ、今バタバタしてるしな」

「何かプライベートでうまくいかなかったのかな」

くらいにしか思っていなかった。

 

でも、周りから見たら、

わざわざ相談するくらいのレベル感だったらしい、

ということを知った私は、びっくりしたと共に、

自分のポジティブ変換能力が上がっていたことに、

嬉しくなった。

もちろん、その方が、とても優しくて、

気を遣える方だってこともあるけれど。

 

もはや、「打たれ強い」を超えた、

「打たれたことに気づかない」なのでは、と思った。

 

自分自身のこの思考を、

周りの人に強要するつもりはないけれど、

この特技を生かして、何か仕事ができたらいいな。

 

また、自分はこうやってポジティブに変換できるから、

と言って、他の人が同じようにできるわけではない。

だから、きちんと、他の人のポジティブレベルを把握して、

その人の立場に立って考える能力をきちんと磨いていきたい。

食に対する執着

私自身の嫌いな部分も、

この世間の色んな問題の多くも、

人間の、何かに対する執着が

原因になっているのではないでしょうか。

 

例えば、お金に対する執着。

世の中、お金に対する執着で、

たくさんのことが動いているのではないでしょうか。

もちろん、お金に対して、興味があること、

お金を増やそうとする行為自体は悪いことではないと思います。

生きていくうえで、お金は必要です。

お金を稼いでいる人は単純にすごいと思うし、

しっかりお金の管理をできる人も素晴らしいと思います。

 

しかし、そのお金に対する感情が強すぎることで、

詐欺や横領、脱税、などなど・・・

たくさんの問題が起こっていると思います。

 

また、愛に対する執着によって、

束縛や嫉妬、恋愛関係のもつれが

生まれてくるのではないでしょうか。

 

※あくまでもここは私の予測。

 

そしてここからは私に関する話です。

 

この世の中には、様々な執着があると思いますが、

私自身は、「食」に対する執着が強いです。

食以外に対する執着は、わりと捨てられている方だと思いますが、

逆に食に対する執着が本当に強いです。

一日中食べることを考えているし、

職業の影響もあって、

私の頭の中の9割以上が

食で占められているのではないかと思います。

具体的には、食べ物を捨てることに対して、

とても大きな抵抗があり、残すのがもったいない、

とついつい食べ過ぎてしまいます。

また、今は規則的な生活をしているので、

あまりないですが、

不規則な生活をしているときは、

どのタイミングで食事をとるか、

どこのお店でどのくらいの食事をとるか、

ということばかり考えてしまっていました。

 

私の場合、家族や誰か周りに人がいるときは、

その人がストッパーになるのですが、

一人でいると、そのストッパーが外れてしまいます。

家に誰もいなくなった瞬間、

お腹がすいているわけでもないのに、

食べなくてはいけない衝動に駆られて

食べ物を漁って食べたり、

友達とごはんに行った帰りなのにコンビニの寄って、

お菓子を買って食べながら帰ったり。

 

もちろん、ただ胃のキャパシティーが大きくて、

たくさん食べる、というだけならいいのですが、

私の場合、そうではないのです。

それを食べているときは心が満たされているわけではなく、

逆に罪悪感や、これを誰かに知られたら、

という気持ちの方が大きいのです。

でも、なんとなく、食べなくてはいけないような気がして、

ついつい食べてしまいます。

「一人になれるタイミングがあったら食べなくてはいけない」

というイメージですかね。。。

 

また、なぜか、その「食べた」という事実を隠そうとしてしまいます。

そうやって、食に強く執着している自分が嫌です。

でも、食べること自体は大好きで、

私の人生のうち、大切なことだし、完全に手放す、

ということは不可能だと思います。

でも、こんなにも食に執着している自分も嫌いだし、

これがエスカレートしたり、

何かのはずみに、大きな問題になりかねない気がしています。

 

なので、明日から、この側面から

自分を分析したり、執着に関して、学んでいこうと思います。