住みたい場所

今週のお題「住みたい場所」

 

私の住みたい場所は、

だいぶざっくりしていますが、

「田舎」です。

2歳から東京に住んでいて、

超都心というわけではないですが、

日常に何の不便もなく、過ごせる場所で

約20年間暮らしてきました。

 

祖父母の家は田舎にあり、

自然豊かな場所にあります。

夏休みしか行くことはできないですが、

私にとって、そこが憧れの生活の地です。

 

私は、中学生くらいから、

田舎暮らしにあこがれていて、

高校生くらいから、

自給自足の生活を夢見てきました。

 

なぜそのような生活に憧れているのか、

明確な理由は自分でもわからないのですが、

おそらく、自分の食べるものが、

どのように作られるのか知りたい、ということと、

便利さを求めすぎることへの違和感が

あるのだと思います。

 

将来の夢は?と聞かれたら、

「自給自足」と答えてきたし、

最近youtueなどで、田舎ぐらしの動画を見ては、

自然に囲まれた生活に思いをはせています。

 

とはいえ、都会に染まり切って20年生きてきたわけだし、

今の職場でやりたいこともあるので、

まずはこの地でできるプチ農業をして、

知識を蓄えていきたいとおもいます。

 

というわけで、私の住みたい場所は田舎!

とても薄い内容になってしまいましたが、

ちょうど、田舎暮らしがしたい、

という記事を書こうと思っているところで、

このお題がちょうど出ていたので、

衝動的に書いてしまいました。

 

少しずつアクションを起こして、

自分の憧れの生活を手に入れるぞ!!

正しく生きる

自分は何を求めて生きてきたのか?

「正しく生きたい」

ということでした。

正しく生きたいと思っていたからと言って、

決してできた人間ではないので、

自分の欲や見栄に負けて、

正しく生きられないこともありました。

でも、だからこそ、人一倍、

「正しく生きたい」

と思ってきたのかもしれません。

 

大人になるにつれ、

正解は一つではないこと、

ある側面からみたら正しいことも、

他から見たら悪である可能性があることも、

色々なことを知って、

はじめは抵抗していても、

どうしようもできないことに絶望して、

容認してきました。

その生き方が一番楽だと思っていたけれど、

確かに日々の生活はそれが楽だけど、

自分の気持ちに嘘をつきすぎると、

根本的に苦しくなってくるんだなと思いました。

 

正しく生きるとは、

自分にとって正解の道を選ぶことなのか、

多数派にとっての正解を選んで適応していくことなのか、

世の中の常識が必ずしも正解とは限らない。

今の正解が、将来正解だったといえるかわからない。

本当の正解は神様のみぞ知るのでしょうか。

 

正しく生きたい、でも

正しく生きる方法がわからない。

だから、自分が今、最善だと思う方法で生きていきたいと思います。

もしかしたら、自分が正解だと思って進んでいた道が、

間違っていることもあるかもしれない。

その時は、間違っていることを素直に認めて、

新しい方向に進んでいきたいです。

 

常に自分の思考があっているか、

独りよがりになっていないか、

いつも他視点をもっておくことを

意識していきたいと思います。

そして、周りにとってもいいことで、

自分のことも傷つけない生き方を、

見つけられたらいいな。

一か月ぶり!

約一か月更新していませんでした。

この一か月は、環境にも慣れてきて、

新しく始めたいことも見つかって、

目標も見えてきて、

精神的に安定して過ごせと思います。

 

やっぱり、環境に慣れ、

周りと安定したコミュニケーションを取れることって

すごく大切なことだなと思いました。

そして、改めて、自分が恵まれた環境にいることを

実感できた一か月だったと思います。

この環境にしっかりと感謝していきたいです。

しかし、たくさんの課題や、解決するべきことはたくさんあると感じているので、

いつもお世話になっているから、

解決するべきことを指摘しない、

というわけのわからない遠慮はせず、

この職場をよりよいものにするために、

意見するべきところはしっかりとしていきたいと思います。

 

最近、自分が昔考えていたことや、

感じていたことを振り返ってみる機会がありました。

文に残している部分もあったのですが、

残していない部分もたくさんあるので、

現在の私のフィルターがたくさんかかっていますが、

ここにまとめておきます。

 

中学生くらいの頃に考えていたことは、

世界の人類がみんな幸せになることはできないのか、

ということです。

私がしっかりと将来の夢を考え始めたのは、

これがきっかけのような気がします。

 

テレビや新聞で、成果の貧困問題について目にするたびに、

私はこんなに不自由なく生活している一方で、

明日の衣食住も、身の安全も保障されていないなかで

生きている人がたくさんいることに、

申し訳ないといか、どうにかしなくてはいけないというか、

なんとも言えない気持ちになっていました。

でも中学生だった私には、どうすればいいかわからなかったし、

何かアクションを起こす行動力もありませんでした。

そして、何よりも、今の自分の幸せな生活を犠牲にしてまで

救いたい、という気持ちになれなかったのです。

その時、自分の器の小ささというか、

自分の余裕の無さ、自己犠牲の精神の無さに気づき、

自分はあくまでも、自分が最優先で、

薄情なやつなんだ、と悲しくなった記憶があります。

 

でも、世界でそのように苦しんでいる人がいるけれど、

それに対して、最優先にお金や物資の支援をしない

大人たちに嫌悪感を抱いた記憶もあります。

大人になって、色々なことを知ってからは、

発展途上国の支援ばかりできない事情も

分かるようになりましたが。

でもそれは本当に私が成長して「理解」したのか、

私が成長する過程で、限界を知って、

「妥協」をしたり、「目を背けた」のか、

どちらかはまだわかりません。

でも、中学生の時に感じたこの気持ちは

忘れないようにしておきたいと思います。

 

そして、そんな気持ちを持った私は、

自分には政治家にはなれないから、

私はお金持ちになって、

募金をすればいいのではないか、

と考えたのです。

一体いくら稼いだら、国ごと救えるのか、

全く予想さえできない中学生だからこそ

できた発想だったと思います。

 

女性の賃金が、男性に比べて低いことを知った

中学生の私は、お金を稼ぐためには、

資格を取るなど、何か目に見える武器が必要であると

考えて、国家資格でもあり、自分の興味のある

今の分野に進むことにしました。

まあ結果、蓋を開けてみると、特別給料がいいわけではないし、

将来的にもあまり昇給する仕事ではなかったです(笑)

 

というような経緯で、私は今この分野を目指すようになり、

結果この道に進むようになったのでした。

 

そして、高校生の間は、

こうやって決まった自分の進路を疑うことなく、

3年間勉強、部活、高校生活を楽しみました。

 

大学は無事、希望通りの学科に進むことができました。

しかし、大学生になって、思ったよりも、

自分の仕事では、救える人は少ないのではないか、

と感じるようになりました。

もちろん、必要な仕事だし、

その仕事がなくなってしまうことは問題なのですが、

そのままのレールに乗っていては、

この世界を変えることはできないのではないか、

という、焦燥感にかられました。

そこで、あえて、違う分野の仕事をしてみたりもしました。

でも、その仕事をしているうちに、

その環境に染まってしまって、

自分が本当にやりたいことを見失ってしまっていました。

就職活動を通して、本当に自分がやりたいことは、

これではない、ということに気づくことができて、

ある程度の方向修正はでき、

今の仕事に就くことができたのです。

よかった。

 

でも、この仕事が、自分がやりたかったことと、

方向性はあっているけれど、

このまま何も考えずに、環境に身を任せて仕事をしていては、

何も変えられない、ということには気づいてしまいました。

今の職場の中でアクションを起こしていくか、

ここで経験を積んで、外の世界に出るかはまだわかりませんが、

きちんと温かい環境に身を委ねっぱなしではなく、

将来を見据えて、準備をしていきたいです。

 

そして、中学生の頃、世界の貧困問題のような、

ニュースや教科書で大きく取り上げられていることしか

知らなかったけど、

高校生、大学生の間に、日本の国内にも、

たくさん救うべき人がいて、

金銭的に問題を抱えている人もいれば、

精神的に課題を抱えている人もいることを知りました。

精神病のように、病名がついている人もいれば、

日常の中で、たくさんのストレスがあることも、

自分の生活を通しても知りました。

世界で苦しんでいる人を救いたい、

という気持ち消えたわけではないけれど、

それと同時に、日本国内の人も救いたい、

と思ったし、

誰かを日常的に救える人になりたい、

とも思いました。

 

誰もが毎日、毎時間100%ハッピーに生きることは

難しいかもしれないけれど、

せめて、その日のうちに、その日の嫌なことを清算できるような、

嫌なことが少しあったとしても、

人生や、生きること自体には絶望せずに生きられるような、

わずかでもいいから、希望の光や、

楽しいことを想像しながら眠りにつけるような、

世界を、世の中をつくることに関わりたいなと思っています。

それが、どういう形で、私に実現できるかは、

全然想像ができないけれど、

この気持ちを忘れないように、

絶対に実現できる、と信じ続けられるように、

ここに記しておきます。

 

私も含め、一人でも多くの人が、

少しでも多くの幸せを感じて、

少しでも多くの希望をもって生きられる

世の中が実現できますように。

今日の反省

今日の反省

 

先日、積極的に動くことを目標にする、

とこの日記に書きましたが、

今日はそれを自分の中で履き違えてしまい、

失敗したことを、反省の意を込めて、

ここに記録しておこうと思います。

 

今日は、積極的に動くぞ、ということを意識しすぎて、

「できます!」と言ったものの、

時間内に終わらせることができなかったことが

反省点です。

表面だけで積極性をアピールすることは

いくらでもできるけれど、

結果的に仕事ができなければ意味がないし、

結局周りにも迷惑をかけてしまうことになるので、

やります!と主張するだけでなく、

自分の能力をしっかりと見極めて、

できない可能性もしっかり視野に入れて

受け答えしていくことを肝に銘じます。

また社会人として一歩前進できたのでは

ないでしょうか。

これを実践できないと意味がないですが。

 

突然ですが、最近の悩みは、

しょっぱいものを食べると、

舌がピリピリすることです。

昔から薄味の方が好きではありましたが、

最近それがエスカレートしているのか、

しょっぱいものがだんだん

食べられなくなってきてしまっています。

原因は何かわからないし、

偏食ってわけでもないのですが…

まあ様子見しましょう。

 

今日は仕事から帰って来てから、

お風呂の前にアイスを食べました!

やっぱり働いた後のアイスっておいしいですね!

サラリーマンが仕事の後のビールがうまい!

とかよく言っているイメージですが、

そういう感じなのでしょうか。

こんな小さなことで、社会人の仲間入りをした

気分を味わうことができました。

 

短いですが今日はここらで終わりにしましょう。

周囲への期待と自分への期待

今日のお昼、たまたまNHKの番組を見たのですが、

それを見て感じたこと、

自分と照らし合わせて感じたことを

書いていこうと思います。

 

その番組は、このコロナ禍で大学に通うことができず、

自宅で授業を受けた数人の大学生たちが、

今の自分の気持ちを話す、という番組でした。

対面で話しているわけではなく、

それぞれが自分の現状と気持ちを動画に収める、

というスタイルでした。

顔も出していなかったし、声も加工されていて、

大学生の本音を聞けたような気がしました。

 

その中で語られていた内容で、

心に残ったことをいくつか書いていこうと思います。

 

一つ目は、ある女の子で、

「先日、一つ下の学年が高校の卒業式をやった話を聞いて、

私もやりたかった、という気持ちが

再び沸き起こった」という内容でした。

その子は、これまでの色々な背景から、

高校に特に思い入れがあって、

両親にも、大きな節目として卒業した姿を見せたかったし、

いろんな人におめでとうと言ってほしかった、

と言っていました。

そのような気持ちが、一つ下の学年の卒業式の話を聞いて

再び思い出されて、またモヤモヤしてしまっているし、

でも、そうやっていつまでも、

くよくよ考えている自分が嫌だ、

だから色々考えて、今日でこの気持ちに区切りをつける、

と話していました。

 

私はこの子の話を聞いて、

自分にはあまりない感情だなと思いました。

きっと私の卒業式がなくなっていても、

残念な気持ちはあったけれど、

区切りとしてしっかりしたかった、

という気持ちは生まれてこなかったと思います。

なので、両親にそういった姿を見せたい、とか、

自分の中で区切りとして式をしたかった、

と、一つ一つのイベントを大切にできるのは、

とても素晴らしいことだなと思いました。

 

二つ目は、男の子で、

「今までの中で一番クズな一年だった。」

と言っていました。

(これ以下の内容は、正確な記憶ではないので「 」は

外させてもらいます。)

何か成長できたわけでもなく、

思っていた大学生活と違ったし、

将来への希望も持てなくなってしまった。

といったような内容でした。

私がその子の話の中から感じたこととしては、

今または将来に対して期待を抱いて生きることで、

苦しくなることもある、ということです。

 

 

私も大学4年の1年間の計画がすべて崩れ、

友達との思い出作りはほとんどできなかったし、

実習や4年間の集大成である卒論の発表も

オンラインになってしまいました。

それでも私はそこまでダメージを受けなかったし、

オンラインになったからこそ、

体験できたこと、感じられたこと、

気付けたこと、がたくさんあって、

もちろん、心残りがないわけではないけれど、

それなりに現状を受け止めて

生きられていたんだと思います。

 

しかし、今日の番組を見て、

私は環境に適応していたのではなくて、

元々期待をしていなかったから、

どんなに状況が変わっても飲み込めたのではないか、

と感じました。

 

期待をすればする程、それが実現しなかったとき、

ダメージは大きくなります。

逆に期待していなかったけど、

いいことが起こったとき、

とてもうれしく思います。

これを知らず知らずのうちに学んで、

「期待しない」思考を身に着けていたのではないかと思いました。

昔、私は人に優しくできる人になりたい、と思い、

その時に「本当に優しい人は、相手に期待をしない人だ」

という言葉を知って、それに納得して、

それから周囲に過度の期待をしないように意識はしてきました。

でも、それが人に対してだけでなく、

自分にも、環境にも期待しないことにも

つながってしまっていたのだと思います。

 

もちろん、相手に期待しないことで、

優しくなれたと思うし、

自分の気持ちも穏やかになりました。

でも、無意識で、自分自身にも

期待をしなくなってしまっていたことは

反省すべき点だと思います。

自分の行動は自分で変えられるし、

自分の将来も自分で変えられる。

自分のコントロール下で何とかなるものには

たくさん期待をして高みを目指し、

自分の力ではどうしようもないことは、

割り切ってポジティブに考える、

この思考を今後徹底していきたいと思います。

今日の反省

今日の反省!

 

 

 

久しぶりに自分の考えを大きく変えなくては!

と思う出来事がありました。

 

社会人、もちろん人間も、この世の中で生きていく以上、

自分から動き、自分から求めてこそ、

大きなチャンスがやってくる可能性が高くなります。

 

私は昔、過去の失敗を

くよくよ悩んでしまうような性格でした。

しかし、過去のことを思い悩んでも、

過去は変わらない、と実感してから、

何か失敗してしまっても、反省はするけど、

深く悩むことはなくなりました。

それによって自分も生きやすくなったし、

そのような考え方になったから経験できたこと、

挑戦できたこともたくさんあります。

しかし、そう考えることの弊害もあって、

反省はするし、同じ失敗を繰り返すわけではないけど、

心が大きく変わらないのです。

これが本当は普通なのかもしれないけれど、

昔は、一つの出来事に対して、毎回毎回心が大きく揺らいで、

もっとこうなりたい、もっと改善したい、という

向上心なるものがもっとあったような気がするのです。

でも、毎回毎回心が大きく揺らぐのは疲れるもので、

吹っ切れて、気にしないようになりました。

そうやって生きることは、自分にとっていいこともたくさんあって、

こっちの方が楽しく生きられる一方で、

内面的な成長は昔の方が大きかった気がするんですよね。

これに今日気づかされました。

 

出来事としては、

イレギュラーなことがあり、

他の人の担当を代わることになったのですが、

先輩にAの作業とBの作業どっちがいい?と聞かれ、

どっちでもできそうだったので、

どちらでも大丈夫です、と答えました。

しかし、結局どちらの作業も先輩がやって、

私は掃除と片付けになりました。

先輩がどういう意図をもって

この役割分担にしたのかはわかりませんが、

私は、自分が今の環境に甘えていたなと感じました。

今の職場は、普段から本当に大切に育ててもらっていて、

○○できる?  これやってみようか!

としっかりサポートしつつも、

様々なことに取り組ませてもらっています。

そのこと自体には、本当に感謝していたのですが、

そのありがたさに甘んじて、

積極性を失ってしまっていたことに気づかされました。

受け身になって、自分の主張を失ってしまっていました。

なので、これから選択させてもらえるときがあったら、

○○なのでこっちをやりたい、と積極性をもっていきたいし、

それをすぐに答えられるように、

常に自分のやるべきことや、

自分に足りないことを把握しておきたいと思いました。

また、もっと自分からやりたいこと、

問題だと思っていることを発信していきたいと思いました。

 

自分のチャンスは自分で作っていく、という言葉は、頭では理解できても、

なかなか自分のこととしては捉えられなくて、

その言葉に感化されたことはなかったけど、

今日初めて実感できました。

自分の未来の自分で切り開いていく!!

この日記にも、自分のやりたいこともしっかり記録していきたいと思います。

今日一つ、内面的に成長できたし、

この出来事があったから、

昔の自分のことも少し認めてあげられた気がします。

こうやって一歩一歩理想の自分に近づいていきたいし、

これまでの自分も、今の自分も認められるようになりたい。

 

仕事をしながら感じたこと

ゴールデンウイーク明け、

久しぶりのお仕事、無事乗り切りました!拍手!

昨日の夜と今日の朝、若干五月病を発症しましたが、

冷静に自分を客観視して乗り切りました!!

 

さて、引き続き仕事を始めてから感じていることについて。

今日は、本来の目的を見失ってしまっている状態、

効率や改善策を考えることなく、

これまでの習慣に倣っていることに対して

モヤモヤしてしまう、

ということに関して詳しく書いていこうと思います。

 

これも、私が今まだ1ヶ月目で、全体を把握できていないから、

という面も大きいと思います。

なので、私の独断や主観もたくさん入っていると思いますが、

今だからこそ感じられることだと思うので、

あえて主観を削ぎ落さずに記入していこうと思います。

 

本来の目的を見失ってしまうこと、

これほどに怖いことはないと私は思っています。

例えば、生きるために仕事をしているのに、

仕事をし過ぎて心が病んでしまう、とか、

やりたいことがあって大学に進学したのに、

知識の習得や、視野を広げることでなく、

単位を取ることに注力してしまうこと、などです。

これは個人レベルでの問題ですが、

会社、社会、世界のレベルでも、

このように本来の目的を見失って、

見失ったことにも気づかずに、

逸れた方向に全力投球してしまっている、

ということが案外多いのではないかと思います。

 

ここまで来て、自分の考えが

全然まとまっていないことに気が付きました。

筆(?)が全然進まない(._.)

 

話を戻しまして・・・

実際に今私が働きながら、何を感じているかというと、

前回書いたように、福祉系の仕事をしているのですが、

やはり時間効率や、費用の問題があって、

利用者のことを第一に考えられていない、

という場面があるな、ということです。

本当はその人の生活を支える仕事なのに、

その人の心を支える仕事なのに、

自分の時間、仕事の量、金銭的な壁、

様々な障壁や自己の優先によって、

本来の目的を見失ってしまって、

利用者の気持ちは置いてけぼりで。

これは私が未熟だから、

逆にそれぞれの行動の意味を分かっていないだけなのでしょうか。

そもそも自己を犠牲にして、

利益を無視してでも利用者のことを最優先する、

この考え方が違うのでしょうか。

なんの陰りもなく、目の前の人を大切にすることは

できないのでしょうか。

私がきちんとした人間になればできるのでしょうか。

今の先輩も、今の職場も、本当にいい環境だからこそ、

本質から否定するつもりはないし、

きっとこの世の中では人のことを考えて

関係性を築けている職場だとは思います。

だからこそ、私が違うのかな、

限界があるのか、どこかは目を瞑って、

折り合いをつけていかなくてはいけないのか、

ということを考えてしまいます。

この気持ちは成長すると薄れていくのでしょうか。

この気持ちが薄れることで、楽にはなりたいけれど、

でも、この気持ちを忘れて世の中に染まりたくはない。

自分が楽になるために、人を犠牲にするのは違う。

何が正解なのだろうか。

人に対しても、自分に対しても嘘偽りのない人、

芯のあるまっすぐな人、清く美しい人になりたい。

 

思考がまとまっていないがゆえに、

今の気持ちを書き連ねただけになってしまったけれど、

この今の気持ちを大切にしたいし、忘れずにいたい。