仕事をしてから気づいたこと

今日はお休みなので、いつもと違う時間ですが、

忘れないうちに書こうと思います。

 

最近だんだん暖かくなってきました。

今の私は夏が好き。特に初夏。

小学生の頃は秋が好きだったんですけど、

高校生くらいからかな、夏が秋を上回りました。

昔は春は花粉症があるから嫌いで、

冬は寒すぎるかから嫌いでした。

でも、大人になるにつれて、

だんだんそれぞれの季節の良さがわかるようになってきました。

それぞれの季節の良さをわかって、楽しめる大人って、

とても素敵ですよね。

四季を楽しみながら、

季節に合わせた生活をできる人になりたいです。

 

 

では、本題に。

先日から書いている、仕事を通して感じていること。

昨日、仕事を実際にしてにしてみたからこそ気付けたことを

いくつか挙げたので、それについて詳しく記録していこうと思います。

 

一つ目は、

大きな音の中にいると疲れてしまう、ということです。

今働いている仕事場は、人の声というよりは、

機械とか作業音がしているという状況で、

それがだいぶストレスなんだな、と感じました。

今まで自分が音に対して敏感だと思ったことはなかったです。

音痴だし、音の変化などもあまり気づかないし。

確かに、昔から、急に声をかけられたり、

大きな音がしたときに周囲の人よりも驚いてしてしまう、

という節はありました。

 

私は「他の人の感覚」というのを味わったことはもちろんないので、

みんなが私と同じ環境に置かれたとき、

どのように感じるのかは全く分かりません。

他の人も同じように感じているけれど、

生きていくうえで多少なりとも我慢して生きているのでしょうか?

私の忍耐力がないだけなのでしょうか?

そこはわからないし、他の人にはなれないので、

どう頑張っても、本当の答えはわかりません。

 

聴覚過敏の人には、発達障がいや、HSPの人も多いと聞きます。

私は聴覚過敏よりも、味覚、嗅覚がだいぶ過敏な方だと思います。

なので、HSPなのかな?と思って少し調べてみたのですが、

他の人の感情を読みとるのが特別得意なわけではないし、

中学生くらいまでは、周りの目が気になっていたけれど、

今は人並み、いや、気にしない方(?)になりました。

しかも、好奇心は結構旺盛な方ではあるし、

人と一緒にいることも好きなので、

自分はHSPではないのかな?と自分では思っています。

 

で、話を戻すと、大きな音が常にしている状態が、

自分にとって思っていたよりもストレスだった、ということです。

これは克服するべきなのか、慣れていけば何とかなるのか

わかりませんが、気づけたことはとても大きかったなと思います。

 

もう何項目か書こうと思ったけど、

今日は夜ごはん作る担当なので、そろそろ準備のため、

終わりにしようと思います

最近感じていること

続いて、社会人になって1か月、

最近感じていることをパート2!

 

実行することの大切さと、自分の実行力の無さです。

 

実際に今1か月ほど仕事をしましたが、

仕事の内容は自分が予想していたものと

大きな差はありませんでした。

しかし、その仕事の中で、自分が苦手なことがあるか、

その仕事をするうえで、それが自分に向いているか、

本当にやりたいことなのか、

は、実際に働いてみないとわからない部分が多いなと思いました。

 

今自分が働いてみたからこそ気付けたことは、

例えば、

 

常に大きめの音がなっている環境の中にいることが、想像以上疲れる、

ということ。

 

自分のペースで動いていたところに、急に指示をされて、

その予定が狂うことで、作業効率が格段に下がってしまう

ということ(これは前から少し気づいていた)。

 

明確な目標や、将来像を描ける環境が必要である

ということ。

 

淡々と仕事をこなすことは苦手で、常に効率よくするには、とか、

課題を見つけてそれを解決することに喜びを感じる、

ということ(これは再認識した、という感じ)。

 

自分側の正義と相手側正義が対立していることや、

自分側の都合だけで動こうとすること、

本来の目的を見失ってしまっている状態、

効率や改善策を考えることなく、これまでの慣習に倣っていること、

などに対して、どうしてもモヤモヤしてしまう、

ということ。

 

実際にこの職場で働いて見たからこそ分かったことも多いし、

自分がこの職場が自分が求めているところだ、と思って

働き始めたからこそ気付けたこともたくさんありました。

このようなことに気づくことができたのは、

就職活動の時に、実際にこれまでの自分を分析して、

就職活動を実行してきたからだし、

働き始めてから気づけたことは、私が仕事を実行したからです。

 

そう、だから、自分が興味があること、

やってみたいことは、実行するしてみることが大切なんだ

ということを学びました。

自分が興味がなくてももちろん実行してみてもたくさんのことを

学べると思います。

しかし、興味があるものの方が、元々の期待値が高いし、

意欲が高いので、学べることもより多くなるのではないでしょうか。

 

そして、自分の実行力の無さについてですが、

このようにたくさんのことを感じ、考えることは好きだし、

得意な方なのかな、と今は思っているのですが、

気付いたことを実行するのに時間がかかります。

完璧主義がゆえに、最善な方法を考えすぎてしまって、

結局何もできない、というパターンなんですよね…(._.)

この気づいたことを実行することで、

新たな学びや気づきも生まれてくると思います。

完璧にやろうとしなくても、0よりは1の方がいいのだから、

何かしら実行することに

大きな意義があるのではないでしょうか。(自分への問いかけ)

 

だから、気づいたことには、完璧でなくていいから、

何かしらのアクションを起こす、

というのを、目標の一つに加えたいと思います。

 

これは最近考えていたこと、というよりは、

今書きながら思考が進んでまとまってきた考えです。

これも、このブログ日記を実行したおかけで気づけたこと。

始めてよかったなと思います。

 

では、先ほど挙げた気づきの例に関して、

ここから数日、言及していけたらなと思います。

昨日の続き

昨日の続きを書いていこうと思います。

 

昨日、

「仕事が合わない、自分の居場所はここでない、

と思っていても、慣れてしまえば、案外その気持ちも薄れてくる、

ということです。

これはいい意味でも、悪い意味でも。」

 と書きましたが、これについて言及していこうと思います。

 

私の考える悪い意味での慣れ、というのは、

本当はありがたいこと、

または、本当は改善しなくてはいけないことについて、

時が経つにつれて、その感情が薄れていってしまうことです。

よく災害の時に言う、「当たり前の日常のありがたさ」

みたいな感じです。

 

今回に関しては、もともと、仕事が合わない、

自分の居場所はここではない、とか、いう感情が、

悪い意味で薄れていく、ということですね。

このような気持ちが薄れていくことは、

日常的に働く上ではもちろんストレス少なく働けると思います。

一方で、自分が感じている違和感や、これじゃない感を無視して、

自分を偽って過ごしてしまう可能性がある、ということです。

 

本当は自分に合っていない仕事なのに、

周りの人が優しいから、どんなんとなく乗り越えられてしまっていることとか

ありませんか?

 

本当は気になるけれど、それを気にしていると疲れてしまうから

目を瞑って、細かいことを気にしすぎない!

と自分にいい聞かせてしまうことありませんか?

私はよくあります。

細かいことを気にし過ぎると生きにくいですが、

それに蓋をして、自分の本当の感情を無視して生きるのも、

だんだんと知らぬ間にストレスが溜まってしまってしまうものです。

大人の世界に入れば、本当に色々な裏事情があります。

自分が生き抜くためには、目を瞑らないといけないことも、

妥協しなくてはいけないこともたくさんあります。

新卒1年目、この世に生まれて22年の私でさえ感じているので、

人生の先輩方はもって強く感じているのではないでしょうか?

そんな中、自分の気持ちを犠牲にして、

日本を、世界を作り上げてきてくれたことに

感謝と尊敬の気持ちを送ります。(返送不可)

 

ここまで色々書いてきたけれど、

私が何を言いたいのか、というと、

日常の自分が楽しく、楽に生きていくためには、

その環境に適応して、妥協して生きていくことが大切です。

一方で、それに飲まれ過ぎず、

しっかりと本来の自分の気持ちや意見にも耳を傾けて、

色眼鏡無しで自分の心の気持ちを分析していくことが重要ではないか、

ということです。

これは全員に当てはまるのかはわかりませんが、

私自身は、きちんとその気持ちを忘れずに、

着実にアクションを起こしていこうと思います。

 

これで慣れに関する言及は終了。

22歳、社会人1ヶ月目の私はこんな感じのことを考えていますとさ。

最近お仕事を通して感じていること(とてもまとまっていない。)

昨日書き忘れました(._.)

日曜日でお休みで、いつもと生活リズムが違うと、

色々やり忘れてしまいます。

逆に少々忙しい方がやること捗ったり、

隙間時間の方が効率よく進められたりしますよね。

 

さて、最近ちょっと仕事に慣れてきて、

そのうえで今の仕事に関して思うこと、

自分のことについて考えていることをまとめていこうと思います。

 

まずは、仕事が合わない、自分の居場所はここでない、

と思っていても、慣れてしまえば、案外その気持ちも薄れてくる、

ということです。

これはいい意味でも、悪い意味でも。

 

いい意味では、「住めば都」みたいなもんですかね。

嫌だと思う感情って、大胆、環境になれていなくて、

前の慣れ親しんだ環境と比べて、居心地が悪い、

という気持ちからくるのではないかと思っています。

だから、ある程度周りと仲良くなってきたら、

居心地の悪さは解消されるのではないでしょうか。

居心地がいい、と感じるまでにかかる時間は、

場所によって、人によって様々だと思いますが。

また、周りの人に自分を理解してもらったり、

周りの人を理解することで、

コミュニケーションの距離感が安定し、

はじめのころよりも気負わずにコミュニケーションを

取れるようになります。

そうすることで、心の負担は小さくなって、

他のことを嫌だと感じにくくなっていくのではないかな、と

思います。

 

こんなことを書いてはいますが、

私は、自分で言うのもなんだけど、

人に良くしてもらえ易い性質があるみたいで、

どこに行っても、声をかけてもらえたり、

いつでも聞いていいよ、というスタンスで

構えてくれる方が本当に多いです。

これは私の性質なのか、今までの環境がどこも良かったのか、

そこはまだ不明確であり、

もし前者なのであれば、そのようにしてもらえるのは

なぜか、言語化していきたいものです。

 

私が普段コミュニケーションを取るにあたって、

気にしていることは、

とにかく小さいことにも、

教えてもらったこと、してもらったことには、

笑顔でお礼を言うこと、です。

これは本当にやって損はないと思います。

迷ったらとりあえずこれ。おすすめ。

しかし、私はまだ感謝すべきことに気づけていないことも

たくさんあるので、より細かな気遣いにもセンサーを張って、

感謝していくこと、これが私の今後の課題です。

これ、疲れてしまうのでは?

と思ったりすると思うんですけど、逆です。

感謝するべきことを探し、感謝するだけで、

自分にも感謝の言葉が返ってくるし、

小さな幸せに気づけるようになり、

幸せと思う回数が多くなるので、必然的にうれしい気持ちになるんです。

人間って、思ったより簡単に今よりも幸せになれるもんですよね。

 

私が、もっと細かい気遣いに感謝しようと思ったのは、

ある友達の影響です。

その子は本当に気を遣える子で、

私が特に意図せずにやったことを、

とてもポジティブにとらえて、感謝してくれるような子なんです。

自分が何気なくやったことでも、

感謝してもらえると、うれしい気持ちになりますよね。

そういう気持ちにさせてくれた人に対して、

悪いことをしようとは思わないし、

何か返してあげたい、という気持ちになります。

 

私は大学4年間、その子とたくさんの時間を過ごす中で、

私もそういう感謝できる人になりたい、と強く思うようになりました。

 

 

話が大分逸れた上に、長くなってしまいました。

時間も遅いので、明日、続きを書こうと思います。

大人になったなぁ

今日自転車で仕事から帰る途中、

鳥のフンが落ちてきて、服にかかってしまいました…泣

ちなみに、白いのはフンじゃなくて、

尿らしい(汚い話だけど、はじめて知って驚いた!笑)

 

落ちてきて、服が汚れたときは少しショックだったけれど、

それに対して、最悪だと思ったりとか、

憤りを覚えることはありませんでした。

 

昔はすごく細かいことまで気になって、

感情が左右されていたけれど、

それがなくなってきたのが、すごく成長だなと思います。

 

一方で、ほかの人の反応がすごく気になってしまったり、

家族の言動や、自分自身の態度について気になってしまったり、

そのようなことで感情が左右されます。

そして、その感情が左右されることが、

あまり好きではありません。

 

これは普通のことなんですかね?

今まで、感情が左右しないように、

自分をコントロールする技術を身に着けてきたつもりでした。

 

一部に関しては、本質的に改善できたと思います。

主に、今回のように、何かが汚れてしまった、とか、

したかったことをし忘れてしまった、とか。

そういうことに関しては、

まあこのくらいじゃ死なないし、

人生あと80年くらいあるから、

もう一回くらいこんな機会あるでしょ、

くらいに捉えられるんです。

 

一方で、相手の反応が明らかにいつもより暗いとか、

いつもと態度が違う、とかに関しては、

すごく気になってしまいます。

後は、家族にどう思われるか、とか。

でも気にしている割に、強く当たってしまったりするので、

そこが自分の中で永遠にモヤモヤがたまっていく…

 

今から考え始めると病みそうなので、

明日、もう一度、考えようと思います。

食品ロスについて

急にテーマが外向きになりましたが、

そこは気にせずに進めていこうと思います。

 

私は小さい頃から、食に対する執着心が強かったです。

今も食に対するこだわりは強い方だと思います。

 

そこで、最近気になるのが「食品ロス」

昔から興味はありましたが、

最近SDGsが推奨されていることもあり、

食品ロスに関して見聞きする機会が多くなりました。

 

私たちが、食べ残したり、賞味期限切れで捨てたり、

売れ残ってしまって廃棄になるものは、

一人1日お茶碗1杯分とも言われています。

それももちろん解決しなくてはいけない大きな課題だと思います。

 

一方で見えないところではどうでしょうか。

食事を提供するレストランや給食施設などで、

安心・安全かつスピーディーに食事を提供するために

捨てられてしまっている食材がたくさんあります。

もちろん腐敗していたり、舌触りなどの関係で

除去した方がいい部分もありますが、

調理の作業効率を上げるためなどに除去されてしまう部分もあります。

 

食べ残しや、賞味期限切れによる廃棄だけでなく、

このような届くまでの廃棄もたくさんあるのです。

 

工場での下処理や加工時、

畑での収穫時などはどうなのでしょうか。

そこの情報はあまり知らないので、

これから集めていかなくてはいけないなと思っています。

 

せっかくたくさんの人が労力をかけて作ってきた食べ物。

きっともっと大切に、もっと貴重に思って

扱っていくべきではないでしょうか。

 

また食品ロスから話は逸れますが、

栄養の二重負荷や、

世界での貧困問題、

日本においては食料自給率の低さ、

様々な食に関する課題が

問題視されています。

 

今はこれといって動き出せてはいませんが、

私のアイデンティティの一つとして、

食があるので、

何か食に関する課題を解決する取り組みをしていきたい、

と改めて感じてる今日この頃です。

環境に恵まれてきた

私は生まれてこの方、

本当に環境に恵まれて生きてきました。

 

家族仲も良く、金銭的にもある程度恵まれた、

何一つ不自由のない生活を送らせてもらっていました。

(もちろんそれなりの自分の中での悩みはありましたが)

 

大学生になってからは、アルバイトやサークルなど、

環境を自分で選ぶ機会が増えましたが、

どのような場面でも、本当に周りの人が優しく、

恵まれた環境で色々な体験をすることができました。

感謝ですね。

 

そして、社会人になった今も、本当に優しい人に囲まれて

仕事することができています。

 

自分が何でこんなにも、どこに行っても

恵まれた環境にいられるのか、

運なのか、私自身が知らぬ間にできている何かなのは、

わかりません。

私の前世が地球でも救ったのでしょうか?

何なら逆に、自分が鈍感すぎて気づけていないだけ?

とか、

怒られ慣れていなくて、いざというときへこみそう、

とまで思います。

 

でも、この優しい環境に甘んじることなく、

自分が一番自分に厳しくして、

やるべきことはしっかりとできるようにしていきます。

 

 なんか、小学生の感想文みたいになってしまいましたが、

そんな日もある、というか、

そんな日しかないか、ということで、

本当にこれからも感謝して生きていこうと思います。