昨日の続きを書いていこうと思います。
昨日、
「仕事が合わない、自分の居場所はここでない、
と思っていても、慣れてしまえば、案外その気持ちも薄れてくる、
ということです。
これはいい意味でも、悪い意味でも。」
と書きましたが、これについて言及していこうと思います。
私の考える悪い意味での慣れ、というのは、
本当はありがたいこと、
または、本当は改善しなくてはいけないことについて、
時が経つにつれて、その感情が薄れていってしまうことです。
よく災害の時に言う、「当たり前の日常のありがたさ」
みたいな感じです。
今回に関しては、もともと、仕事が合わない、
自分の居場所はここではない、とか、いう感情が、
悪い意味で薄れていく、ということですね。
このような気持ちが薄れていくことは、
日常的に働く上ではもちろんストレス少なく働けると思います。
一方で、自分が感じている違和感や、これじゃない感を無視して、
自分を偽って過ごしてしまう可能性がある、ということです。
本当は自分に合っていない仕事なのに、
周りの人が優しいから、どんなんとなく乗り越えられてしまっていることとか
ありませんか?
本当は気になるけれど、それを気にしていると疲れてしまうから
目を瞑って、細かいことを気にしすぎない!
と自分にいい聞かせてしまうことありませんか?
私はよくあります。
細かいことを気にし過ぎると生きにくいですが、
それに蓋をして、自分の本当の感情を無視して生きるのも、
だんだんと知らぬ間にストレスが溜まってしまってしまうものです。
大人の世界に入れば、本当に色々な裏事情があります。
自分が生き抜くためには、目を瞑らないといけないことも、
妥協しなくてはいけないこともたくさんあります。
新卒1年目、この世に生まれて22年の私でさえ感じているので、
人生の先輩方はもって強く感じているのではないでしょうか?
そんな中、自分の気持ちを犠牲にして、
日本を、世界を作り上げてきてくれたことに
感謝と尊敬の気持ちを送ります。(返送不可)
ここまで色々書いてきたけれど、
私が何を言いたいのか、というと、
日常の自分が楽しく、楽に生きていくためには、
その環境に適応して、妥協して生きていくことが大切です。
一方で、それに飲まれ過ぎず、
しっかりと本来の自分の気持ちや意見にも耳を傾けて、
色眼鏡無しで自分の心の気持ちを分析していくことが重要ではないか、
ということです。
これは全員に当てはまるのかはわかりませんが、
私自身は、きちんとその気持ちを忘れずに、
着実にアクションを起こしていこうと思います。
これで慣れに関する言及は終了。
22歳、社会人1ヶ月目の私はこんな感じのことを考えていますとさ。